今週のメッセージ    

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1月21日の説教 Ⅰサムエル3:1-10 「主よ。お話しください。」
天地の造り主、全能の父、生けるまことの神さま。顕現後第一の主日に、私達をこの礼拝に御招きになったことを感謝致します。あなたが主イエスの栄光をと愛の輝きを全世界に現してくださったことを感謝致します。またアジアのために祈ります。2月9日に開幕する冬のオリンピックに北朝鮮の参加が決まりました。互いに憎しみと暴力の連鎖ではなく、これを機に和解に繋がりますように。何よりも核兵器のない世界へと一歩近づきますように。また明日から関東でも積雪があるようです。寒さや私たちをお守り下さい。今から御ことばを分かち合いますが、話す言葉と聞く耳をお与え下さい。松田町と周辺自治体に今週も恵みがありますように。主の御名によって祈ります。

Ⅰサムエル3:1-10
3:1 少年サムエルはエリの前で主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
3:2 その日、エリは自分の所で寝ていた。・・彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。・・
3:3 神のともしびは、まだ消えていず、サムエルは、神の箱の安置されている主の宮で寝ていた。
3:4 そのとき、主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい。ここにおります。」と言って、
3:5 エリのところに走って行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので。」と言った。エリは、「私は呼ばない。帰って、おやすみ。」と言った。それでサムエルは戻って、寝た。
3:6 主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので。」と言った。エリは、「私は呼ばない。わが子よ。帰って、おやすみ。」と言った。
3:7 サムエルはまだ、主を知らず、主のことばもまだ、彼に示されていなかった。
3:8 主が三度目にサムエルを呼ばれたとき、サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので。」と言った。そこでエリは、主がこの少年を呼んでおられるということを悟った。
3:9 それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。
3:10 そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げた。
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「サムエルの話」、聖書日課の関係で3年に一度めぐってきます。
サムエルという名前の人が世界に何人いるのでしょうか。おそらく万単位だと思います。
純情素朴で可愛い男の子が、主に呼ばれて「はい。ここにおります。」
祭司エリも6節で「私は呼ばない。わが子よ。帰って、おやすみ。」
サムエルに対するあたたかい配慮が伝わってきます。
自分の孫に諭すようにやさしく語りかけています。
そして「お話しください。しもべは聞いております。」実に素直です。
ほのぼのとした心温まるエピソードです。

その後のサムエルの活躍は目を見張るものがあります。
すくすく成長し、神さまに用いられる。
お年寄りと、純真無垢な坊やの心温まる話しとして皆さん、読むと思います。
ここだけ読むと、その通りなのですが、きょうは視点を変えて読みたいと思います。

きょうの話しのポイントを申しあげておきます。
読めば分かりますが、実は、それほどハッピーな話しではありません。
このエピソードの背景にあるのは、信仰の衰退、あるいは共同体の危機があります。
くだけた言い方をすると「困った状況」があります。その中で神の御手がどのように働くのか。
そのことを学んでみたいと思います。

10節で「お話しください。しもべは聞いております。」と主からの何を聞いたのか。
11節で「聞く者はみな、二つの耳が鳴るであろう。」
聞いた人は衝撃的で、耳鳴りのように響いて、「やめてくれ」と両耳を押さえたくなる内容でした。
具体的には

<3:12-13>
 3:12 その日には、エリの家についてわたしが語ったことをすべて、初めから終わりまでエリに果たそう。
 3:13 わたしは彼の家を永遠にさばくと彼に告げた。それは自分の息子たちが、みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためだ。

聞いた幼いサムエルは身体が凍り付いたと思います。自分が仕えていた祭司エリの家の崩壊を告げます。神の裁きの最終通告です。

<3:9>
エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。」

エリはまさか、サムエルの口から自身の神の裁きを聞くとは思いもしなかったと思います。
息子達の傍若無人な振舞いに、滅びの宣告を告げるわけです。

具体的な顛末は 2:12から記されています。
そしてサムエルが語った裁きがそのとおり起こります。
サムエルの語ることは神が語ること。全く一つです。サムエル記の特徴です。

3:19 サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。

その通りのことが起こります。
4:11 神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。
4:18 彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。彼は四十年間、イスラエルをさばいた。

神の箱が奪われ、エリ家に裁きが下ります。それぞれ悲惨な最期を迎えます。
なぜこうなったのか。冷静に考えてみる必要があります。
ここでエリの息子達だけの問題と捕らえるのは短絡的で、悪い息子達がいなければ、こうはならなかったというのは無理があると思います。もうすこし広い観点から読み説く必要があります。
そのことを共に考えてみたいと思います。

今、皆さんサムエル記を開いています。サムエル記の前はルツ記、その前は士師記です。
士師記までの旧約聖書の流れを大まかに説明します。
モーセによるエジプト脱出、約束のカナンへ向かう。出エジプト記。
荒野の旅を続けること40年、ついにカナン全土を征服します。ヨシュア記。
まさに「ダンからベエルシェバまで」征服します。
「乳と密の流れる土地カナン」はイスラエル12部族に分割されます。
そしてめでたし、めでたしではありませんでした。

そこには先住民族のカナン人いました。彼らは農耕民族で独自の宗教をもっていてバアル礼拝を行っていました。
イスラエルにとっては厄介な人達でした。扱いに困るわけでいざこざが絶えない。
ヨシュア以降、際立った指導者がいなくなりますが、それを裁かなければならない。

それが士師記です。
士師とは「治める者」あるいは「裁き人」という意味で代表的な人はギデオン、エフタ、サムソンなど全部で12人が裁き人として活躍します。それが200年続きます。この人達も完全ではありません。

更に12部族に分割された土地に他の民族が侵入してくるわけです。
代表的なのがペリシテ人で、鉄を使う人達で鍛治屋がいるわけです。
鉄のヨロイかぶとに剣、好戦的で敵意をむき出しにして戦いを挑んでくる。
ゴリアテなどは代表格です。しかも王様を中心に効率良く戦略的に挑んでくるわけです。

それに対して、イスラエル12部族は祭司中心です。
王がいません。祭司は「神の言葉」を取り次いで12部族がそれぞれ協力して戦う。
この頃になると祭司も中には堕落する祭司も出てくる。
祭司制度が機能しなくなっていく。民も神の言葉を聞かない。自分勝手なことをしてしまう。
祭司制度は少しずつ衰退していきます。同時に国も弱体化、退廃していく。

神の選民イスラエルの立場からすると、困ったことになるわけです。
その象徴的なことが祭司エリの息子達の事件です。
退廃ムードがまん延していく。私たちが聖書を読んでいても、単純にこれはまずいなと思います。

ここがきょうのポイントです。
私達信仰者がまずいなと思うとき、神さまもだいたい同じことを考えているということです。
こんなことが続くと「あんばいが悪い」と思うとき、神さまは、「しょうがないよ」とは言わない。
神さまらしい打開策を考えるわけです。歴史の支配者です。

その時に目を付けたのがサムエルです。
3:1 少年サムエルはエリの前で主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。

「主のことばがまれにしかない」というのはゼロではないが、それに近い。霊的退廃。
エリの息子に代表されるように人々は自分勝手に生きていたということです。
こういう人達が用いられることはありません。

神さまらしい打開策を考えるわけです。主はサムエルに語りかける。「サムエル、サムエル」
それは日常の何でもないことから始まります。
歴史の支配者だからといってドガンと何かするわけではないのです。
何か突如、魔法の杖が動くわけではないのです。
何でもない日常の行為を通して働き始めます。
私たちも知らず知らずのうちに関わっていく。

サムエルはこのあと、旧約屈指の預言者としてまた祭司として活躍します。
最終的にはダビデに油を注ぎます。メシアとは油注がれた者という意味があります。
サムエル記ですが、主人公はダビデで、その後、ダビデ王国を築きます。
そのダビデの家系からキリストが誕生する。

きょうのポイントを繰り返します。
私達がまずい状況だなと思うとき、神さまもだいたい同じことを考えているということです。
そして神さまらしい打開策を実行します。それは日常の何でもないささいなことから始まります。
私たちは、主を信頼することが大切です。
心配することはありません。委ねて信頼する。これが本日の結論です。

祈ります。


  新会堂建築計画

 

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