<次週主日予定>   

11月18日    聖霊降臨後第26主日   
聖 書    マルコ13:1-13   
説 教 最後まで耐え忍ぶ人は救われます
聖歌513、614、380、638、385   
ゴスペル賛美    父の涙   
賛美練習・チャリティーコンサート

今週の15分メッセージ    

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11月11日 聖霊降臨後第25主日 「 かめの粉はつきず」 Ⅰ列王17:8-16
17:8 すると、彼に次のような主のことばがあった。17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」17:10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」17:11 彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」17:12 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」17:13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。17:14 イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」17:15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。17:16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。
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皆さんご存知、預言者エリヤの登場です。エリヤといえばカルメル山で450人のバールの預言者と対決したとか、最後はたつまきに乗って天へ上って行ったとか。新約にも何回か名前が出てくる伝説の預言者です。しかし、きょうの個所は、あっと驚くような奇跡がおこるというのではありません。名もない貧しい女性の小さな家庭で起こった出来事ですが、信仰の本質を教えています。
17:8 すると、彼に次のような主のことばがあった。17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
「シドンのツァレファテ」は、フェニキア人の住む地域、地中海東海岸に位置しています。今のシリアの一部です。「やもめ」というのは、配偶者と死別かわかれた独身者のことです。12節では息子がひとりいました。8節、このとき、エリヤに神のことばがありました。エリヤは神の声を聞きます。貧しい、その日の糧も不確かな家族の家に居候し、そこで養ってもらいなさいというのです。なぜ、主は、このような命令をしたのか。理由が書かれていません。とにかく「シドンのツァレファテに行きなさい」というのです。エリヤは、このとき女性の名前も住所を聞いていません。一般常識から考えるとかなり無茶な話しです。預言者もたいへんです。とにかく神のことばに従ってツァレファテへ行きます。エリヤはどうしたらその女性に会えるのかな、思いながら行ったと思います。
17:10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。
「町の門」というのは町の入口です。「たきぎを拾う」というのは、貧しさを表していますが、それを見たエリヤはぴんときた。もしかするとこの女性かも知れない。ちょっと声をかけてみようかと考えました。10節後半、「そこで、彼は彼女に声をかけて言った。」「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」まず小さなアプローチをします。彼女を試したわけです。ここで断られたら、他の女性を探せば良いのですが、17:11「彼女が取りに行こうとすると」、エリヤの言葉に従った瞬間、エリヤは更に試します。「一口のパンも持って来てください。」このときこの女性もエリヤだと悟ります。このとき偶然が重なった。偶然が連続した、とも言えますが、ここにヒントがあります。その人の信仰を神が試すことがあります。イエスさまはおっしゃっています。「弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、その人は決して報いに漏れることはありません。」あるいは「与えなさい、そうすれば与えられます。」信仰はステップアップします。しかし、この女性は貧しさ大きな問題を抱えていました。
17:12 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」
正直に事情を話しました。これから最後の食事をして、ひとり息子と無理心中でしょうか。最後の粉と油でパンを焼いて食べて死のう。そためにたきぎを拾っているというのです。もはや風前の灯、絶望のどん底にいました。しかし、エリヤは不思議なことを言います。
17:13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。」
「恐れてはいけない、あなたが言ったように残りの油と粉でパン菓子を焼きなさい。そのパン菓子をまず私に食べさせなさい。それからあなたと子どものパン焼きなさい。」と。これも理不尽な要求です。エリヤに食べさせる粉はないのです。それを知りながら要求しています。
17:14 イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」
更に干ばつが続くが、雨が降るまで、そのかめの粉は尽きない、壷の油はなくならない。この女性は、エリヤの言葉を信じました。エリヤも神の声を聞いて話をしています。
17:15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。
17:16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。
不思議な話です。どうしてかめの粉は尽きなかったのでしょうか。説明がつきません。
この女性は信仰が試されました。そして信じて行うなら、必要は備えられる。
この女性は、最後の食べ物を神の人に差し出したのです。やもめも一大決心だったと思います。
マルコ12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」困難なとき、不合理と思われるとき、神が語りかけることばによって祝福は与えられる。

きょうの話をまとめます。
神は導かれるお方です。御ことばに従う時に祝福がある。どんな人でも神は用いてくださる。二匹の魚と五つのパンを用いられたように、私たちが持っているものがわずかでも、それを差し出すとき、それを用いてくださるという約束です。