教会の歴史

スエーデンから北米へ

1878年、スウェーデンで設立されたカベナント(「聖契」)教会は、当時のルター派国教会の形式的、世俗的な在り方に対して起こった自由教会運動の中から誕生した。その名称は、十字架信仰による再生と新しい生命についての共通の経験を分かち会う者たちを互いに結び合わせるという意味を持っていた。勿論、そこには宣教の使命の分かち合いも含まれていた。そして、その経緯を持つ多くの人々のアメリカへの移民とそこでの交わりと伝道の中で、1885年、アメリカにもカベナント教会が誕生した。

 

北米から日本へ

 1949年、そのアメリカの福音カベナント教会は宣教師たちを派遣して日本伝道を開始し、まず東京に聖契神学校を設立し、東京、神奈川、群馬、新潟の各地に教会および伝道所を設立した。その後、宣教師たちは日本カベナント宣教会を組織し日本人の団体である日本カベナント教団と協力して宣教に当たってきたが、1967年4月、この両者は合同して「日本聖契キリスト教団を組織し、今日に至っている。

 

松田町での宣教

松田聖契キリスト教会は1949年頃、当時、国府津教会の副牧師であった松元茂師が杉本春吉兄弟を伴い、開拓伝道をされた結果、50年に会員5名を以て組織された。翌年には小さな牧師館が建てられ、更に1952年、幾多の困難を克服し、小さいとはいえ、魅力的な教会が献堂された。その頃の新聞には「足柄上郡初のキリスト教会が建った」と報道された。それに伴い、宗教法人の認可申請を行い、1955年2月宗教法人松田聖契キリスト教会が発足した。その後、63年4月、松元茂師が宣教師として台湾に行かれ、その後、佐藤勇師、角本行巨師、島田早苗師、高橋美重子師、恒見和久師と牧師が変わり、1987年2月に現在の清水康師が赴任、現在に至っている。

 



カベナント(聖契)教会は何を信じるのか


―― 「カベナントの主張」要約版 ――

カベナント教会は、共同体を形成し育てようと努めている。その共同体とは、イエス・キリストに深くコミットし、この世におけるキリストの宣教(ミッション)へ熱心に携わる共同体である。「カベナントの主張」の目的は、1885年の創立以来、カベナント教会を導いてきた価値基準と原則を明らかにすることである。カベナント教会は、プロテスタント宗教改革を通して、歴史的キリスト教から生まれた。その特有の精神は、さらに、スウェーデンのルーテル国教会における私たちの初期のルーツ、18世紀~19世紀の大覚醒運動、また、もっと最近の北米における刷新運動によって形成されてきた。カベナント教会は、人種、民族性、文化、性別、年齢、地位の境界を超えて、すべての人に届くよう専心する。

 

福音主義キリスト教会共通の主張

 

我らは使徒的教会である。私たちは、イエス・キリストと、聖書に記された使徒たちの信仰を告白する。私たちは、聖書の権威が、信仰、教理、行為のすべての事柄において至高であり、信頼すべきものであることを信じる。「それは(聖書の)どこに書いてあるのか」は、過去も現在も、信仰と実践に関する議論において、カベナント教会の試金石である。

 

我らは公同教会である。「公同の」(catholic)という語は、字義的には「普遍的な」(universal)を意味する。これは、私たちが自分自身を、イエスに従う者たちとともに始まり、今日も存在し、キリストが再び来られるまで続く、信者の共同体の一部であると理解することを意味する。

我らは宗教改革の教会である。私たちは、プロテスタント宗教改革と呼ばれる16世紀の教会刷新運動の主流に立っている。特に私たちは、自分ができるいかなることによってでもなく、信仰のみを通し、神の恵みによって救われると信じることが重要である。カベナント教会はまた、イエス・キリストとの個人的関係によるいのちの必要性、聖霊への信頼、この世に仕えることへの召しが強調された、17世紀のヨーロッパを起源とした刷新運動である敬虔主義によって形成されている。

 

我らは福音主義の教会である。19世紀を通じ、ヨーロッパとアメリカで一連の宗教的目覚めが花開き、それは私たちの宣教への情熱とともに、初期カベナント教会の成長のため豊かな土壌を提供した。歴史上、福音主義者は聖書の権威の強力な主張、新生の絶対的必要性、この世を福音化せよとのキリストの命令、キリスト教を背景とする教育と形成の継続的必要性、善意および社会正義の促進に対する責任に特徴づけられて来た。

 

カベナントの主張の中心

私たちが「カベナントの主張」と呼ぶもののうちに、カベナント教会の中心的信仰が要約されている。

 

神のことばの中心性。私たちは、聖書が信仰、教理、行為の唯一完全な規範であると信じる。神のことばの、変革をもたらすダイナミックな力は、教会と個々のキリスト者の人生を導く。この聖書への信頼は、男性も女性も共に、任ぜられた聖職者、またあらゆる階層のリーダーシップへと私たちを導く。それが教会において人種的多様性を追い求める理由であり、あらゆるあわれみと慈しみと正義の行為を実行する刺激となるのである。

 

新生の不可欠性。使徒パウロは書いている。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(Ⅱコリント5:17)。キリストにある新生とは、キリストにコミットし、赦しと受容と永遠のいのちを受け取ることを意味する。それはキリストにあって生きることを意味し、このいのちは愛と義、喜びと平安の特質を有している。新生は始まりに過ぎない。キリストにある成熟へと成長することは、個々人、信者の共同体双方にとって、生涯続くプロセスである。神は私たちを形作り、変革する。神が世界を変革するのは、キリストによって変革された人々を通してである。

 

教会の包括的宣教に対するコミットメント。初期のカベナンターは「ミッションフレンズ」として知られていた。彼らは遠近両地域への神の宣教を実行するため、共に集まった信仰の仲間たちであった。彼らと私たちにとって、宣教のわざは福音伝道、キリスト者の育成、あわれみと慈しみと正義のわざを含む。私たちはキリストの二つの中心的な召しに従う。大宣教命令(マタイ28:19-20)は、弟子作りのために私たちを全世界へ送り出す。二大基礎律法(申命6:5,レビ19:18)は、神である主を愛し、隣人を自分自身のように愛するよう私たちを召す。

信者の交わりとしての教会。カベナント教会の会員籍は、イエス・キリストに対する個人的信仰の告白による。それはすべての信者に開かれている。私たちは、イエスによって命じられた、礼典としてのバプテスマと聖餐を遵守し、幼児洗礼と信者のバプテスマの両方を実行する。私たちは「万人祭司」、つまり私たちすべてが教会の宣教を共有することを信じるとともに、神が特定の人々を専門的な、フルタイムのミニストリーに召すと主張する。教会は機関や組織、建物ではなく、イエス・キリストのいのちと宣教に参与する信者の恵みに満ちた交わりである。キリスト者共同体の内にユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もなく、すべての人がキリスト・イエスにあって一つであると新約聖書が教えるように(ガラテヤ3:28)、教会は平等な家族である。

 

聖霊への自覚的依存。カベナント教会は、父、子、聖霊なる唯一の神という三位一体的理解を主張する。新約聖書は、聖霊が個々人の内側と相互間との両方で働くと教える。私たちは、心にキリストへ向きを変えたいとの飢え渇きを教え込み、キリストが内に住んでいることを確信させるのは聖霊であると信じる。キリストへの従順を可能にし、私たちをキリストのかたちに一致させるのは聖霊である。また、世界における継続的なキリストの宣教を可能にするのは、私たちの内にいる御霊である。聖霊は個々人に霊的賜物を与え、キリストのからだとして私たちを共に結び合わせる。

 

キリストにある自由の現実性。使徒パウロは書いている。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました」(ガラテヤ5:1)。この自由はキリストにある神の賜物であり、神および他者との正しい関係となって現れる。それは、利己的に用いるための個人的な賜物ではなく、共同体とこの世に仕えるために与えられている。パウロにとってこの自由は、私たちが分裂を引き起こしやすい事柄に働く力から解放されることを意味する。キリストにあって一つになれば、私たちは聖書と歴史の記録が神のみこころと目的の解釈について、多様性を許容するように見える個所では、信仰や実践の事柄において異なっていてよい、という自由を互いに提供する。カベナント教会に属する私たちは、自分たちを分割するものよりむしろ、キリストに従う者として一つにするものに注目するよう努める。

 

結論 カベナント教会は旅人の教会である。キリストが来られるまで、全地が神の声を聞き、神の愛を知り、神の喜びを体験するため、私たちは礼拝し、仕え、証しし続ける。ブックレット「カベナントの主張」には、カベナント教会の信仰がより詳しく説明されている。さらなる理解のために、お読みいただくことをお勧めする。

 

2016年2月11日発行
翻訳者 日本聖契キリスト教団 礼拝・教育委員会
発 行 宗教法人 日本聖契キリスト教団
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